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窒素酸化物削減のため公共交通無料化の社会実験か

 昨日の2月13日に、連邦政府が「窒素酸化物削減のため公共交通無料化の社会実験をドイツ5都市で行う計画を検討している」ことが明らかになった。その5都市のひとつが、ルール大都市圏の中心都市エッセンである。市長は歓迎しているが、そのためには越えねばならないハードルが大きい。なかでも大きな問題が「無料化のための財源」で、まだ検討されてない状況らしい。そこで、このような案が出て来た背景と、実施へのハードルについて説明したい。

 実験の背景は、窒素酸化物の値が、多くの都市でEU基準を上回っていることである。その最大の原因が、以前にも紹介したディーゼル車が普及していることである。EUから罰金を求められる恐れがあることに加え、大気汚染を理由にディーゼル車の走行を禁止する手法につき、近く連邦行政裁判所の判断が出ることになっている。そして、今回の公共交通無料化実験は、この「ディーゼル車の走行禁止」を避けるための苦肉の策である。通勤者がディーゼル車から公共交通に転換することで、窒素酸化物の排出を減少させられることが期待されている。

 このニュースの無料化に賛成し、歓迎する意見が多い。しかし、賛成するグループからも、実施するには十分な準備が必要だと、慎重な検討を求める声が出されている。乗客の増加が予想されるので(そうならないと窒素酸化物が削減されず、無料化実験は失敗する)、そのためには車両の数や、運転手の人数を増加させねばならない。実は、エッセンは現在でも運転手が不足気味で、募集に力を入れている。また、車両は注文生産になるので、入手するまでに数年かかるのが普通である。このような点を考えると、「本当に社会実験ができるのだろうか」と、首を傾げる人がいるのも理解できる。さらに大きな問題が「無料化の財源」である。

 このような状況なので、環境団体の中からは、「連邦は本気でなく、問題をそらそうとしているのではないか」という声も出ている。社会実験が実施されれば興味ある結果が示されるはずだが、果たして実施へ進めるのかどうかに関心が持たれているのが実情のようである。
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| 公共交通 | 23:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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政治は動かせたが住民は動かず:バス路線の住民運動

 ドイツの住民運動は日本より盛んで、良く出てくるのが"イニシアティブ"という言葉である。これは、正式の団体登録を行わずに活動している住民グループのことで、いろいろなイニシアティブがある。大きな住民団体も、始まった時は"イニシアティブ"と称していたことも多い。

 イニシアティブは、いろいろな方法で自分たちの主張を認めさせようと行動する。市民の懸案についての決定権は政治が有していることが多いので、政治に働きかけるのが普通である。政治家が考えを変え、要求が受けいれられれば、運動は成功である。ところが、運動によっては、それでは終わらないこともある。ミュルハイムで、それを考えさせる出来事があった。

 ミンタルダ地区は、ミュルハイムの南部、エッセン市との境界近くにある。南北に600m、東西はその半分程度の集落で、約700名が居住している。都心と6km以上離れており、公共交通はバスだけである。以前、路面電車の廃止について紹介したが、公共交通の維持は市財政への負担となっている。そこで、公共交通計画の改定時には、赤字削減が大きなテーマとなる。交通コンサルタントによると、ミュルハイム公共交通計画の問題の一つに、「バスと電車が同じ路線を走っている」ことがある。利用する方にはいいだろうが、二重の路線を維持するには多くの経費がかかる。そこで、2013年末にまとまった新しい公共交通計画は、ミンタルダから都心の中央駅まで走っていたバス路線を廃止し、途中で乗り換えて中央駅へ向かうことで二重性を弱めた。この変更は、2016年に入って実施された。

 ところが、この新計画の実施は、ミンタルダ住民にとって予想しなかった問題を生んだ。バスが遅れ、乗り換えて接続するはずだったバスに間に合わないケースがかなり生じた点である。財政が厳しいミュルハイム市は、同時にバスや電車の運行回数も減らした。このため、バスが遅れると、次の接続まで1時間も待たねばならないことも生じ、学校に遅刻する生徒や、早めに帰宅しなければならない生徒が出て来た。その結果、転校する生徒や、「不便だ」と転居する家族まで出てくる始末であった。

 ミンタルダのイニシアティブは、都心やバスの乗り換え地点でこの窮状を訴え、バス路線改善の署名を集めた。市民の理解と協力で、路線が消えた数ヶ月後に1550名の署名を市長に提出できた。政治家にも働きかけた結果、「公共交通計画を手直しする必要がある」と、ミンタルダの問題に理解を示す議員が増加した。そして、路線廃止から約1年が経過した昨年9月に、妥協案が市議会で決定された。廃止路線の復活ではなく、都心に直行する路線を新設する、という案である。運行は朝と夕方に限られるが、その費用を捻出するために、他の路線を短くする変更も同時に決定された。昨年秋から新路線の運行が始まり、ミンタルダ住民は乗り換えずに中央駅まで行けるようになった。

 住民イニシアティブが政治を動かして対処し、問題が緩和され、これで一巻の終わりになるはずだった。ところが、この新路線は、現在、「廃止の危機」に瀕している。利用状況が余りに悪いのである。新路線が走り始めて少し経過した昨年11月の調査によると、ミンタルダのバス路線乗客は通学する生徒がほとんどで、乗客はどの便でも10名以下しかいない。そして、新設された直行路線にミンタルダで乗り込む乗客は、1日の6便合計でわずか11名、という状況だった。

 確かに「公共交通」では、交通弱者のため、ある程度は採算を度外視してサービスする必要がある。しかし、多数の署名を集めて政治を動かした結果としては、あまりに利用が少なすぎる。直行路線を求めて運動したミンタルダ住民は、政治だけでなく、ミンタルダ住民を動かし、バスを利用するようにしなければならなかった。「住民運動だから、住民は自然に動く」ではない点が、残念である。

| 公共交通 | 13:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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スクラップ作業所の跡地利用に政治はガラス張りを要求

 以前ブログで紹介したように、ミュルハイムで40年にも及んで「公害源」として問題にされていたスクラップ作業所に、2014年春に、遂に移転の方針が示された。長期間の住民運動と、チャンスを捉えて仲介した市の努力による成果である。そらから、4年近くが経過し、移転交渉はまとまり、すでに作業所は1キロも離れていない北西へ移転を終えている。新しい場所は、港に隣接しており、周囲には住宅はないので、苦情を気にせずに作業が行われている。

ヴェーゼラー通りからスクラップ作業所の跡地を見る。引き込み線には草が生えており、使用されていないことがわかる。(2017年/こちらに、ほぼ構図が同じ2012年の写真がある)
 跡地では、土壌汚染の処理も終了した。残る最大の問題は、「跡地利用」である。早くも2014年夏から、各政党は、この機会をシュペルドルフ地区のまちづくりに生かすべきことを主張していた。

 「ドイツのまちづくり」というと話しに出てくるのが、拘束力のある規定を柔軟に設定できる「Bプラン(地区計画)」である。この地区には、まだBプランがない。「Bプランを策定すれば、将来を見据えたまちづくりを確保出来る」と思う方もいるだろう。しかし、実際にBプランを策定することは、容易ではない。実は、スクラップ作業所の移転先でも30年ほど前にBプラン策定手続きが開始されたが、作業は休眠状況で、いまだにプランは決定していない。用途が均一な住宅地のBプランでも、策定ではいろいろ問題が出てくる。まして、各種の工場が操業している地区に的確なBプランを策定することは非常に困難で、経費もかかる作業である。

 跡地は4車線ある幹線道路のヴェーゼラー通りに面し、規模が3ha近い。この跡地利用で最も心配されたのが、都心やシュペルドルフ地区の商店街にマイナスの影響を及ぼす小売店の進出である。スクラップ作業所があった港の近くは、工業系の地域である。ところが、すぐ近くのヴェーゼラー通り交差点には、近隣供給である食料品ディスカウント店が2店ある。さらに、作業所と道路を隔てた場所では、ホームセンターやマットレス店が営業している。

 Bプラン策定は期間と経費がかかるためか、市は当初、跡地を所有するJ社の動きを注意して見ていた。J社は、土地を売却するのではなく、賃貸したいと、候補となる会社と相談を開始した。市に正式な申請は行われていなかったが、ガソリンスタンドや建材・庭園センターの噂が流れ、商業系施設が立地する可能性も出て来た。そこで、市は、許可なく土地を利用できないように「形質変更禁止」の規制をかける方針を立てた。この方針は区評議会と市議会で認められ、2017年2月に跡地に形質変更禁止がかけられた。

 ところが、1年後の2018年1月に、市は「形質変更禁止を廃止」する案を出してきた。理由は、「形質変更禁止が行われていると、投資家が出てくる障害になる」としか説明がない。政治家は、「望ましくない小売店の進出を止められなくなる」と懸念を表明した。なぜ市が廃止を言い出したのかに関し、新聞に、「J社が、廃止しなければ提訴して裁判で争うと市を脅した可能性もある」という推測も流れた。

 この件を決定する権限は、市議会本会議にある。それに先だち、区評議会と都市計画委員会でも議論が行われる。先週行われた区評議会では、全会派が廃止に反対した。何が進出するのか具体的に分かってから廃止すればいい、というのが区政治家の意見である。ただ、区の意見は市の決定に影響力がなく、あくまでも「地元の参考意見」に過ぎない。今後、2月6日に市議会の都市計画委員会が、そして2月22日に市議会本会議が予定されている。形質変更禁止がどうなるのか、そして跡地に何が出てくるのか、シュペルドルフ地区の住民も、緊張して待っていることだろう。

| 居住環境や緑・公害 | 14:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドイツでは庶民の墓地利用は期限付きが主体

 私が初めてドイツを訪問したのはもう50年ほど前の夏だが、町がきれいなのに驚いた。その原因のひとつが「緑」の多いことで、花もきれいだった。とくに日本との違いを感じたのが、「お墓」である。日本のお墓は「石」で構成され、墓石の前に花が飾られている。ところが、ドイツのお墓は全体的に緑で、そのなかに墓石が置かれていて、とてもきれいだった。日本は火葬、ドイツは土葬という埋葬方法の違いも関係しているのだろうがが、「お墓」というより、「公園」と言った方が適切だと感じた。

 土葬の場合は、広い面積が必要になる。死者は増加する一方なので、土地利用にもそれなりの影響があるだろう。ところが、最近になって火葬を選ぶ人も増えてきて、従来のように広い墓地は不要になり、墓地予定地を住宅地にしたり、墓地の跡を森林化するという報道も見られるようになった。

デュイスブルクのオストアッカー墓地の北部分では墓じまいが進行しており、残るは数ヶ所だけだった。(2015年撮影)
 右の写真は、デュイスブルク北部の墓地で、森林化が予定されている。埋葬件数が減少したので、南の方だけで十分なので、北側に埋葬するのは20年近く前に停止したそうである。数年内に墓地を全て整理して、森林化を目ざすという話しである。その墓地の北部を歩いてみると、墓地があったような跡はあった。しかし、使用されている墓地は数ヶ所しかなく、広い遊歩道だったと思われる場所の両側には、芝生が広がっていた。

 どうも良くわからないのが、「お墓と遺骨はどうなるのか」という点である。デュイスブルクの場合は、条例で20年間の「静穏期間」が保証されているだけのようである。これは、墓地の使用権が子孫へと受け継がれている日本とは、非常に異なる話しである。ドイツでも、数百年前に亡くなった有名人の墓地は残されているはずだが、庶民の墓地は消えるのだろうかと、疑問に思っていた。

 数日前に、そのヒントとなる新聞記事があった。ボーフムでは、墓地の静穏期間は25年である。市外に住むある婦人の父親の墓地はボーフム市西部にあり、すでにこの期間が過ぎていた。最近、墓地をお参りに来た婦人は、「この墓地はしまわれる」と書かれた掲示を発見し、驚いた。父のお墓をこのまま維持したいと思い、市に期限延長について問い合わせた。しかし、市の回答は、彼女を落胆させるものだった。そこは棺を順番に埋葬するための墓地で、条例によると、死亡に際し、1回だけ静穏期間が確保されるだけで、家族がいつまでも利用できる権利は与えられないそうである。

 ただ、市は、彼女に、父親の墓を今後も維持する方法はあることを説明した。彼女が住む市には、長期的に利用できる家族墓地が提供されている。だから、市は「遺骨の掘り出し」に同意するので、そこを入手して墓地証明を示せば改葬できる、ということである。しかし、彼女は改葬には同意しなかった。遺骨を掘り出して静穏を破りたくないことと、家族墓地は高価で財政的に無理なためである。市は、この月末に、墓じまいを行う予定にしているそうだ。

| ドイツと日本と | 11:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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都心への防犯カメラ設置の効果が認められ、継続へ

 日本では、都心や商店街で犯罪が起きた場合、それに関する防犯カメラ画像の解析が重要な解明手段となっている。一方、ドイツでは、ストリートビューに「ぼかし」が入れられている現状からわかるように、プライバシーが尊重されている。この結果、プライバシー侵害の恐れがある防犯カメラ設置はあまり進んでいず、ルール地方の南に隣接する州都デュッセルドルフの都心に例があった程度である。

 この状況を変えるきっかけとなったのが、2015年の大晦日の夜から翌朝にかけ、ケルンを初めとするドイツの大都市で、集団的に性的暴行が行われる事件が発生したことである。もともとドイツでは、毎年、大晦日の夜に花火を鳴らし、若者が騒ぐことはあった。勢い余って商店のガラスを割った例もあり、自衛手段を講じている商店街もある。しかし、性的暴行は悪質な犯罪で、大量の難民を受け入れたこととの関連も議論となった。とにかく再発を防ぐことが必要で、考えられる対策の一つが、防犯カメラによる監視である。

ドルトムント都心のブリュック通りには、夜の飲食店も多い。右側に少しだけ見える下部がガラスの建物は、活性化のため建設されたコンサートホールである。(2012年撮影)
 こうして、2016年に入ると、ルール地方の大都市でも防犯カメラ設置の検討が開始された。「よもやま通勤6都市」では、人口が多い3都市が先行したが、どこに設置するのかでは、各都市の事情に応じ、違いがある。デュイスブルクでは、市北部の副都心に相当し、トルコ人などの居住が多いマルクスロー地区が選定された。エッセンでは、都心北の地下鉄駅周辺の、麻薬の取引が行われていると言われている場所が選ばれた。

 ドルトムントで選ばれたのが、都心の中心商店街と中央駅の間に位置する「ブリュック通り」である。警察によると、この狭い道路で、都心で起きる道路犯罪の22%前後が起きている。監視されるのは夜間で、犯罪が多発する時間帯である金曜日から土曜日にかけてと、土曜日から日曜日にかけてで、いずれも22~7時である。犯罪を事後的に調べることも重要だが、カメラが稼働する時は、本部で映像が監視され、パトロールの警官が増員される。カメラで異常が認められれば無線で連絡され、直ちに現場に急行される。こうして、犯罪に初期に対処され、「犯罪として完成するのが妨害する」という、予防主体の対策である。

 ブリュック通りの監視は、2016年12月16日の金曜日に、「1年間の試行」として開始された。今月に入り、警察は2017年の1月~10月の結果をまとめて報告した。それによると、2016年には21件あった傷害が9件に、9件あった強盗が5件に減少するなど、重大な暴力犯罪はほぼ半減し、明確な効果が認められた。この結果、ブリュック通りの監視はさらに継続されると共に、監視する地区の拡大が実施されることになっている。カメラ活用の手法は日本と微妙に異なっており、今後の展開に興味が持たれる。

| 中心市街地や近隣供給 | 17:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「橋の日」に都心商店街が繁栄するドイツ - 飛び石との違い

 今朝、通勤でいつもの電車に乗ると、通例よりすいていた。で、昨日が勤労感謝の日だったことを思い出し、「そうだ、今日は『橋の日』なんだ」と、納得した。

 「橋の日」、日本人には何のことか分からないだろうが、ドイツ人に "Brückentag(ブリュッケンターク)"とは何かと聞けば、すぐに教えてくれるはずだ。今日は11月24日(金曜日)で、昨日の11月23日(木曜日)は「勤労感謝の日」で祝日で、明日は土曜日なので、もし休みをとれば連休になり、ゆっくり休めることになる。「休日にはさまれた平日」、これが「橋の日」の意味である。

 私がこの言葉に出会ったのは数年前の新聞で、「今日は橋の日なので、商店街が活気に満ちている」というような記事だった。意味を調べたが、辞書(独和大辞典、第2版)には載っていない。インターネットで検索したところ、ドイツ語版のウィキペディアにしっかり"Brückentag(ブリュッケンターク)"が載っていた。面白いのが、ページ左側にある「他言語版」というリンクで、「日本語」もあったのでクリックしてみたところ、「飛石連休」にジャンプした。なお、つい先ほど、ドイツ語上級への道にも説明があり、「橋かけの日」と訳していることを知った。

 日本の「飛び石」という言葉は、休みが点々と1日置きに続くことで、休日にポイントがある。一方、ドイツの「橋の日」は、平日にポイントがある呼び方である。この背景には、「平日に休みを取るかどうか」と、「日曜日に商店街が開いているか」の違いがある。「橋の日」に関する新聞記事は、「橋の日のため、都心の駐車場が一杯になった」(ドルトムント)とか、都心にあるファッション店へ「橋の日で多くの客がつめかけ、一時的に入店を制限した」(エッセン、2013年5月)などがある。日本と違い、ドイツでは店舗は原則として日曜日には営業が許されない。だから、休みをとればゆっくり買い物ができる「橋の日」は、確かに都心に出かけるのに適した日だと言えるだろう。

 ドイツには、曜日で決まっている祝日もある。「キリスト昇天祭」は復活祭から40日後の木曜日なので、毎年のように翌日が「橋の日」になる。一方、日本の「飛び石連休」は、ウィキペディアの説明にあるように、5月3日の「憲法記念日」、5月5日の「こどもの日」に、さらに5月1日か5月7日が休日になる場合のことを表現する言葉だった。現在は5月4日も休日になっているので、次第に聞かれなくなる言葉であろう。一方、ドイツでは、日本のように祝日を追加しようという政党は見あたらず、国民は有給休暇を利用してバカンスに出かけている。だから、平日に休みを取って都心に買い物に行く「橋の日」という言葉は、今後もなくならないだろう。

 「橋の日」は都心での買物、「飛び石連休」はバカンスに重点がある言葉である。この文化の違いを考えると、ウィキペディアで「他言語版」というリンクでつながれている現状には、疑問も感じられる次第である。

| 中心市街地や近隣供給 | 14:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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テロ対策でクリスマスの期間はトランジットモールを休止

 まもなく、ドイツで商店街が多数の人であふれるクリスマスの時期がやって来る。昨年の12月19日に生じた、ベルリンのクリスマス市場に大型トラックが突っ込み、12人が死亡した事件は、まだ記憶に新しい。その後も、バルセロナやニューヨークで、似た事件が起きている。このようなイスラム過激派によるテロの影響で、クリスマス時期の商店街の姿が、少し変化してきている。そして、都心にバスを通すトランジットモールがあるボーフムでは、テロ対策として、都心を通るバスの路線を変更し、トランジットモールを休止することになった。

ボーフムのトランジットモールであるボンガルト通りのバス停に停車しているバス。(2006年撮影)
 トランジットモールは、「公共交通だけを通す歩行者空間」である。ドイツの大都市では、公共交通は地下に移し、地上は全面的に歩行者空間にするケースが多い。このため、よもやま通信6都市のうち、都心にトランジットモールがあるのはボーフムだけである。ボーフムの場合も、都心の地下を南北に2本、東西も2本の地下鉄(LRT)が通過している。だから、トランジットモールを走るのはバスだけだが、1日に330本と本数が多く、トランジットモールは「市民にとって重要な交通幹線」となっている。

 実は、以前はLRTがこのボンガルト通りを走っていた。しかし、都心に豊かな空間を造るため、LRTは地下に移し、地上にバスが走るトランジットモールを整備することとなった。地下にトンネルを掘り、その後に地上を整備する工事に計9年間を要し、2006年秋に現在の都心空間が完成した。中央にある狭めの車道を通るのはバスだけで、両側には広い歩道が市民に提供されている。それ以来、1日として、バスがここを通らなかった日はない。

 昨年のクリスマスは、警備を強化し、警官が機関銃を手に巡回し、テロに備えた。しかし、考えてみると、トランジットモールは、トラックによるテロに弱い。そこで、今年は「どうすれば侵入を止められるのか」が検討されたが、すぐ実施できる効果的方法を見出せない。そこで、公共交通を含め、全ての車両の通行を禁止することになった。しかし、テロの可能性があるのはクリスマス期間に限らない。今後、ボンガルト通りはどうなるのだろうか。

 私は、費用はかかるだろうが、ライプチヒ都心にある「バスの運転席から上下できるポール」を採用する方法はある、と思う。ライプチヒ都心のニコライ通りでは、一般車は駅からブリュール通りまでしか入れず、その南側はバスと歩行者だけのトランジットモールになる。面白いのは、バスがトランジットモールに入る方法で、運転席でボタンを押し、ポールを下げるのである。頑丈なポールが必要だろうが、この方法ならバス以外を確実に締め出すことができるのではないだろうか。

| 中心市街地や近隣供給 | 22:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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