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産業廃棄物の丘にそびえる"虎と亀"からのメッセージ

 デュイスブルク市南部には、ライン川そばにあった亜鉛精錬工場の跡地から出た有害物質で汚染された土を積み上げ、無害な土で覆った上で、緑化した丘がある。ここに、2010年の「欧州文化首都年」の一環として、芸術作品を置くことになった(2009年に選定され、2010年に建設を始め、2011年秋に完成した)。選ばれて設置されたのが、写真のような作品で、「タイガー&タートル」という名称がつけられている。私も、近くまで行く機会があったので、ジェットコースターに似た作品に登り、歩いてきた。素晴らしい眺めで、とても気持ちが良かった。

「タイガー&タートル」を西を流れるライン川方向から見た遠景と、すぐ下から撮影した近景。近くで見ると、ダイナミックで非常に力強い感じを受ける。(2012年撮影)
 先週、デュイスブルクの美術館で、作品の作者から、制作した意図の説明を聞く会が行われた。私はこれまで、作品につけられた名称が「虎と亀」を示すことは気づいていたが、意味は全く気にしていなかった。ところが、その記事によると、この名称が、製作意図を示すキーの役割を果たしていた。

 作品の作者は、アトリエで政治や社会の問いを取りあげ、「対立について議論し、強化する」のだそうである。この作品で取りあげられたのは、「速いと遅い」というコントラストである。恐らく、この形を見て、多くの人は「ジェットコースター」をイメージするだろう。しかし、作品のところへ来てみると、そこには階段があり、一段づつ登らねばならない。だから、「速いと遅い」の対立がこの作品になったという話しは、とても良く理解できる。

 名称として虎と亀が選ばれたのは、もちろんスピードがポイントである。しかし、それだけでなく、タイガーはターボ資本主義のシンボルで、滅びる恐れもあると説明された。一方、カメは中国で賢明さのシンボルで、敗れないことも意味するそうである。この作品は、汚染土を覆って緑化した丘に設置されることも考えて製作されたそうで、作者は寿命があると考えており、「永遠のランドマーク」とは思っていないそうである。名称をドイツ語でなく英語にした説明はなかったが、英語ならどちらも"T"で始まることが関係しているのかもしれない。

 もちろん、芸術作品は、作者が考えたことを越え、人々に訴えかけるものである。「速いと遅い」のコントラストは、私たちに何を語りかけるのだろうか。みなさんも、機会があればデュイスブルク市南部へ足を伸ばし、作品に登ってみることを勧めたい。なお、私が訪問したのはたまたま日曜日だったので登れたが、曜日によっては登れないそうなので、注意が必要である。
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| 居住環境や緑・公害 | 12:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エッセンは確かに「ヨーロッパ緑の首都」 - 映像も完成

 エッセンの「ヨーロッパ緑の首都」は、1月末の開幕行事も無事に終了し、暖かくなる季節へ向けて進行している。宣伝のための映像も完成し、DVDで販売され始めたそうだ。その映像の予告編がユーチューブにあると知ったので、眺めてみた。「たしかにエッセンはヨーロッパ緑の首都にふさわしい」と感じられる出来映えである。ここに紹介するので、是非一度眺めてみてほしい。

 この映像には、私がこのブログで紹介したところもチラッと出てくる。そこで、映像のどのあたりかと、そのブログを紹介しよう。
 まだ紹介する機会がないが、0分39秒と1分4秒頃には世界遺産となっているツォルフェアアイン炭坑が出てくる。さらに、0分40秒と1分30秒頃には、都心もチラッと出てくる。いずれにせよ、予告編を眺めると、エッセンの緑が豊かであることが良くわかる。

 確かに、0分24秒頃に出てくるクルップパークのように、工場の跡地が緑化された公園もある。しかし、紹介されている他の公園は、エッセンが工業都市として空気が汚染されていた当時も「緑」であったはずである。だから、ばい煙で大気が汚染されていた「鉄と石炭の都市」の時代にも、「ヨーロッパ緑の首都」の要素が維持されていたという面がある。

 そう考えていくと、エッセンが「地域計画」発祥の地で、その原因となったのが「緑の維持」だったことに行き着く。エッセンの都市計画責任者ロベルト・シュミットが作成し、1912年に州管区政府に提出した、「緑地」の重要性を力説する「建白書」が、現在のエッセンに広く緑地を残し、「ヨーロッパ緑の首都」を可能にしたのではないだろうか。なお、彼は、1分17秒頃に出てくる郊外の田園住宅地マルガレテンヘーエの建設にも力を尽くしたそうである。

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エッセンの「ヨーロッパ緑の首都」年がいよいよ開幕

 いよいよ2017年を迎えたが、この2017年は、エッセンにとってはとくに意味深い年になるはずである。1年半前に決定し、その後準備を進めてきた「ヨーロッパ緑の首都」の年だからである。

グルガ公園の入口周辺。左奥に見える建物は温泉クア施設で、手前左に石灯籠が置かれている。(2014年撮影)
 緑の首都年の公式の開始行事は、1月第3週の週末である1月21と22の両日に、エッセン中央駅から2キロほど南にあるグルガ公園で開催される。この公園は、1929年にドイツ初の庭園フェアが行われた場所で、公園として整備し、有料で市民に公開されている。その後も、1965年の連邦庭園フェアなど、庭園に関係する多数のイベントの場として、市民に親しまれている。公園の規模は全体で約65ヘクタールあり、日本で言うと、上野公園(53ヘクタール)と明治神宮(73ヘクタール)の中間に位置する。なお、グルガ"Gruga"という名称は、当初行われた「大規模ルール地方庭園展示(Große Ruhrländische Gartenbau-Ausstellung)」の頭文字をとったものである。

 下に示しているのは、エッセンの演劇グループ"Ruhrpott"が、緑の首都の宣伝に協力しようと作成し、ユーチューブにアップした映像、「2017年エッセン緑の首都の歌」である。過去の「鉄と石炭の町」が緑の町に転換し、EUプロジェクトに選定され、エコロジーに努力していることが訴えられている。

 こう説明していくと、「緑の環境首都は、緑や公園に関係する催し」と受け止められるかもしれない。私は、緑の首都に関するニュースをいくつか読んでいるが、思ったよりも広範な内容を含むプロジェクトだと感じている。そこで、緑の首都につき、いくつかのポイントを紹介したい。

 プロジェクトの広範さ:ウィキペディアにも紹介されているように、もともと「緑の首都」の選定には12の指標がある。それを眺めると、騒音や大気汚染のような生活環境に関わることだけでなく、気候変動やエネルギー使用などの地球環境的な視点も重視されている。一言で要約するとすれば、「持続性」ということになるかもしれない。現在、財政が厳しいエッセンでは、公共交通に対する市の負担をどうするかが問題となっているが、緑の環境首都に選定されたことが、公共交通の維持にもプラスになっている雰囲気が感じられる。

 住民の参加で進められる:緑の環境首都として何に取り組むかに関し、市は住民に広く呼びかけ、プロジェクトを募集した。現時点で約300件のプロジェクトが予定されており、住民の関心の高まりにより、今後もプロジェクト件数が増加していくと考えられる。

 過去よりも未来:緑の環境首都が取り組む広範な課題は、現代においていずれも重要なものであり、今年1年で終わってしまってはならない。今後も継続して取り組むことが必要で、その点で、「過去の成果を示すものではなく、将来を見据えたもの」だと説明されている。

 プロジェクトの例として、5つの高校が、校舎のエネルギー節約を競うコンクールを紹介したい。エッセン市は多数の建物を有しているが、そのほぼ半数は学校で、省エネの余地は大きい。同時に、生徒に工夫を促し、考える機会を提供することで、持続性を目ざす将来性ある人材を育成する意味もある。プロジェクトでは、建物の環境や消費エネルギーを正確に測定することが必要で、緑の首都のメインスポンサーで、エッセンに本社がある環境測定のイスタ社が必要な技術を提供している。どんな結果が出て来るのか、楽しみである。

| 居住環境や緑・公害 | 16:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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デュイスブルク市北部の緑地帯が遂に完成を祝う

 1ヶ月以上前から「よもやま通信」に紹介したいと思っていた出来事がある。デュイスブルク市北部で、工業地帯に接する住宅地の環境改善を目標に建設されていた緑地帯が完成し、5月15日に祝われた。まずは、規模が8haもある緑地帯の写真を紹介しよう。

デュイスブルク北部のブルクハウゼンに完成した緑地帯を南側から見る。左の道路がLRTが走っているカイザー・ヴィルヘルム通り。(Der Westen紙より)

 ブルクハウゼン地区は、写真左側に見える幹線道路のカイザー・ヴィルヘルム通りを境界として、東側には住宅地が広がり、西側は製鉄工場という、工場と住宅が近接した地区だった。この結果、人口減少の中で、住宅地には空き家が目立つようになっていた。そこで、道路そばの住宅を取り壊して緑地帯に整備し、居住環境を向上させよう、というのが事業の趣旨である。道路に沿い、東側に奥行き100m前後(最深部は約160m)の緑地が整備された。

溶鉱炉が消え、緑地が広がる現況。(2015年9月撮影)
 実は、この緑地帯は、「ルール地方よもやま通信」と切っても切れない関係にある。それを示すのが左の写真で、上のタイトル左端に示している住宅地から溶鉱炉を眺めた写真(2009年撮影)の「現在」である。2枚の写真を比較すると、手前にあった建物だけが残されていることがわかる。こうして幹線道路に近い住宅が取り壊されて緑地になったのに加え、工場内に見えていた溶鉱炉も解体され、とても「同じ場所」とは思えない変貌ぶりである。左の写真を撮影した2015年秋には緑地帯はほぼ完成しており、気候の良い時期に完成を祝うのを待っていた。

 緑地帯の構想が住民に初めて説明されたのは、2006年だった。その後、一部縮小された計画に沿って2008年に事業に着手され、建物の取り壊しが始まったのは2009年5月だった。約6年間を費やして121棟の建物が取り壊され、291世帯、約800人が移転した。移転先の半数は同じブルクハウゼンで、市外に転出したのは2名で済んだそうだ。

 もちろん、多額の経費が必要だった。全体の費用7200万ユーロのうち、半額はEU、連邦と州の補助で、残る半額は、本来は市が負担する必要がある。しかし、財政が厳しいデュイスブルクには資金がない。残る半額を提供したのは、デュイスブルクに多数の溶鉱炉を有するティッセン・クルップ社である。実際に支出されたのは6500万ユーロで、ティッセン・クルップ社からの寄付はまだ数百万ユーロ残っている。この資金で、今後30年間にわたって緑地帯の維持管理を行う計画になっている。

 なお、緑地帯建設のための用地は、全て任意買収で入手されている。反対派が入手し、買収に応じなかった建物が1棟あり、それは隣接する買収済みの棟と一緒に残されている。位置的に緑地の端にあたり、隣接建物も残されているので、とくに違和感は感じられない。逆に、「自分の所有建物も買収してほしい」と提訴した所有者もいた。カイザー・ヴィルヘルム通りに建つ建物で、1階は店舗になっている。確かに工場から近いが、市は「ブルクハウゼン地区の入口として重要な目印となる建物で、取り壊すつもりはない」と主張し、裁判所も市の考えを認めた。

 これからブルクハウゼン地区がどう変貌していくのか、緑地帯がどのような効果を及ぼすのか、地区の今後への興味は尽きない。

| 居住環境や緑・公害 | 21:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Bプランの特例許可で住宅地完成へ - 鉄道博物館そば

 ドイツのまちづくりで、とくに有名なのが「Bプラン」である。規定が詳細だとして「地区詳細計画」と訳す人もいるほどである。その詳細な規定を満たすと建築の自由度が制限されるとして、「ドイツは建築不自由の国」だとも言われている。いずれも事実ではあるが、事実にはいろんな面がある:たとえば対象地区の範囲を示す線だけで、何も規定が図示されていないBプランもある。そして、「Bプランの規定を免除する特例許可が行われている」ことも、事実である。

 私は、特例許可について、「Bプラン策定に関わった人は、別の案もあり得ることを知っているので、詳細な計画ほど特例許可が多くなる傾向がある」という報告を読んだことがある。Bプランの実態から考え、「確かにそうだろうな」と納得したが、特例許可の実例を確認したわけではない。先日、ボーフム市で、これから特例許可が行われるという報道があった。その背景を説明した区評議会資料も入手できたので、概要を紹介したい。

道路に沿って9棟のタウンハウスが並ぶルール河畔パーク。この右奥の地区へ拡張される予定で、さらに奥にはボーフム鉄道博物館がある。(2009年撮影)

 特例許可が予定されているのは、ボーフム市南西のエッセン市との境界近くにある住宅地「ルール河畔パーク」である。ここはもともと貨物駅の跡地で、さらに奥にあった車両基地は「ボーフム鉄道博物館」として人気を集めている。鉄道は貨物駅跡地を開発して低層住宅地に整備する案をつくり、Bプランを策定した。Bプランは2002年に議決され、土地を所有する鉄道が選定していたデベロッパーは直ちに市と都市計画契約を結び、住宅の販売と建設を開始した。

 住宅地は全体で8ha強あり、7工区に分けられる。ところが、鉄道が売却したのは1~4工区で、5~7工区は、まだ土壌汚染の調査が続いていた。その後、5~7工区も土壌の浄化が終了し、2012年から開発するデベロッパーが探された。2015年に入り、デベロッパーとの交渉もまとまり、いよいよ土地を売却することとなったが、Bプラン決定からすでに10年以上が経過し、住宅建設についての考えが変わり、Bプランの規定に沿えない点も出てきていた。そこで、市の建築許可を担当する部門を加えて交渉が行われ、特例許可の見通しが立った。Bプランに反する部分も出てくるので、摩擦を避けるため、市は地元の区評議会に対し、事前に状況を説明することにしたわけである。

 その説明によると、Bプランからの特例許可が行われる背景には、プラン決定から10年以上が経過したことがあるようだ。鉄道博物館では、入口を移設し、「ルール河畔パーク」の隣接地に駐車場を設置することになっていた。そこで問題になるのが、駐車場の騒音である。このため、駐車場を背にする長めの住棟を建設し、騒音が住宅地に侵入するのを防ぐ計画にされたが、そのためには特例許可が必要になる。また、旧プランは、タウンハウス、テラスハウスと、少数の一戸建てで構成されており、二戸建て(セミ・デタッチトハウス)はなかった。近年の傾向から考え、一戸建てを止め、二戸建てにするのにも、特例許可が必要になる。これらの結果、駐車場がより多く必要になるので、この点でも当初プランからの離反が必要になる。

 しかし、全体として3階建てまでの住宅地は維持され、「プランの基本には抵触しない」。これは、建設法典第31条にある「特例許可」の前提として重要である。もちろん、「この際、Bプランを修正する」という方法もあるだろう。しかし、それには費用と時間がかかる。市は、新たなデベロッパーと都市計画契約を行い、いろいろ義務づけを求める予定なので、「そこまでは必要ない」というわけである。たしかにBプランには厳しい規定があるが、このように特定許可を活用し、柔軟に対処されているのがドイツの現実、というわけである。だから、まちづくりを運用まで含めて考えると、日本とドイツとの差は「それほど大きくはない」と言える。

| 居住環境や緑・公害 | 12:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エッセンが遂に2017年の「ヨーロッパ緑の首都」に決定

 昨年は惜しいところで2016年「ヨーロッパ緑の首都」を逃したエッセンは、「今度こそ」と、今年も続けて応募し、最終ステージへと駒を進めていた。そして、先日6月18日に2015年の「ヨーロッパ緑の首都」であるブリストル(イギリス)で行われた会議で、遂に2017年の「ヨーロッパ緑の首都」に決定した。エッセンから出かけて宣伝に努めた代表団は、歓喜し、ほっと胸をなで下ろしている。

緑の首都に選ばれ、ブリストルて喜ぶエッセンの代表団。中央右のネクタイを締めているのが、エッセンのパス市長。(Der Westen紙より)

 昨年に続けての応募で、準備には抜かりがなかった。それでも、最近の財政危機と、それによる公共交通の削減には、不安が指摘されていた。そのためだろうか、最終説明会で公共交通の部分を担当するエッセン交通会社の責任者は、イギリスの大西洋側にあるブリストルまで、自転車でやって来た。この行動で審査員の共感を得ることができたことは、ほぼ間違いない。

 エッセンが「緑の首都」に期待しているのは、都市イメージの向上と、EU(欧州連合)からの補助金である。実は、EU補助金はすでにエッセンの改造に大きく貢献しており、近年の大規模なプロジェクトはほとんどが補助金によって進められており、昨年紹介したニーダーフェルト湖と周辺整備もその一つである。もちろん、費用が余りかからないプロジェクトも考えられている、2010年の欧州文化首都では高速道路を閉鎖されて歩行者や自転車に開放され、その後にルール高速自転車道路のプロジェクトが生まれることとなったが、おそらく2017年にも幹線道路を歩行者と自転車に開放するイベントが行われるだろう。

 これからの1年半、準備が進められる。2017年に何が行われ、その後にどのような効果を残すのか、楽しみにして期待したい。

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駅前のプラタナスが伐採される - 住民投票は間に合わず

 デュイスブルク中央駅のすぐ前には、アウトバーン59号線が通り、その向こうの道路には樹齢が60年を超えた大きなプラタナスが30本近くある。数年前に、アウトバーン59号線に、長さ約150mについてコンクリートの蓋が追加され、その上部が市民の広場に転換されることになった。完成したのは2010年で、それから4年以上が経過するが、まだコンクリート板(スラブ)のままで、整備が進んでいない。この原因は市の財政難だが、州から補助を獲得できたので、いずれ市民の憩いの場になるだろう。

 新しい広場の町側には、片道2車線で、広い中央分離帯を有した道路がある。この中央分離帯は、かつて路面電車が走っていた跡で、地下鉄の完成後は駐車場として利用されていた。財政が厳しい市は、駅前広場を整備する機会に、この道路を片側1車線に狭め、中央分離帯が占めていた面積と一緒に駅前側にまとめ、そこに店舗兼オフィスを建設しようと考えた。都心の活性化と、市財政への貢献という、一石二鳥を狙った案である。

警官にまもられて進む伐採作業。幹に巻かれた緑色の布は、反対派によるもの。(Der Westen紙より)
 駅前道路の歩道と、旧電車軌道の両側には、プラタナスが大きく育っていた。道路を狭めて5階建ての建物を建設する案がまとまった後の2013年6月になり、自然保護グループが中心となって「駅前のプラタナス32本を伐採からまもろう」という動きが始まった。2週間で2千数百の伐採反対署名が集められ、署名を受け取った市長は「対話」の実施を約束した。そして、議論を行うまでは伐採を行わないように指示した。

 その後、駅前整備に合わせて道路を整備するには、伐採が欠かせないと分かったようだ。市は説明会を行ったが、住民との意見の違いは埋められず、住民は住民投票を目ざす署名活動(住民請求)を準備し始めた。10月に入り、市は、代替植樹に加え、周辺に植樹を追加する妥協案を示したが、受け入れられなかった。ところが、意外な理由で、翌11月に伐採の動きが止まることとなった。駅前に建物を建設して本社としての利用を予定していた企業が別会社に吸収され、建設断念を発表したのである。こうして動きが止まり、1年以上が経過した。

 その間に、市は道路整備を変更することで伐採する本数を減少する可能性を検討していたようである。2015年2月に、ほぼ従来どおり24本のプラタナスを伐採するA案と、道路を狭くして11本を残すB案が提案された。3月2日の市議会は、B案では交通面に不安があるとして、A案を選んだ。伐採反対派は、抗議しつつも、当初は状況を眺めていた。連邦自然保護法で、3月1日から9月30日の間は原則として伐採が禁止されているので、十分時間があると考えていたようである。ところが、道路整備という緊急性が優先するという市の意見を、州が3月末に認めた。これに対処するため、反対派は住民投票を求めて住民請求の準備を整え、4月4日から署名活動を開始した。デュイスブルク市の場合、必要な署名数は有権者の4%、1万5千人弱になるので、2万人が目標とされた。

 問題は、プラタナスをいつ伐採するかである。たとえ住民投票を求める署名が始められても、行政は住民投票で決定するまで自由に行動できるので、既成事実をつくる例も見られる。この問題に対処するため、ノルトライン・ヴェストファーレン州は、2007年の自治体法改正で、必要な署名が提出されて住民請求の内容が合法的と確認された後は、請求内容に反する行為を禁止することにした。逆に言うと、請求確定までは伐採が可能である。

 4月10日(金)に、市が伐採を計画しているらしいという噂が飛び交った。翌11日の早朝、市は来週伐採すると発表し、プラタナス下の駐車場に、月曜日朝7時から駐車を禁止すると張り出した。そして4月13日(月)に、木に鳥の巣等が造られていないかチェックが始まり、小さい木が1本切られた。夕方になり、「市が夜陰に乗じて伐採する」という噂が流れ、反対派は暗いうちに集まったそうだ。しかし夜は何事もなく経過し、火曜日の朝7時45分から本格的な伐採作業が始まった。反対派が妨害しないように警官が動員され、作業の場はフェンスで守られた。

 現在残されている樹木が、2本ある。1本はカラスの巣が確認されたものであり、もう1本はその木と枝が絡まっている隣接した樹木である。もしカラスが別の巣に移ったら、伐採されるだろう。反対派は、この樹木のために署名活動を続けると言っているが、まだ2千人しか集まっていないそうなので、伐採後の目標達成は無理だろう。なお、この時期に伐採したのは、道路整備の前提となる地下の配管工事に取りかかるためだそうである。

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