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ルール地方各地の小学校にプレハブ教室が出現

 シリア内戦の影響でドイツが大量の難民を受け入れ始めてから、すでに3年近くが経過した。当初は受け入れ施設の整備が大問題で、応急的にテント村も設置された。その後、難民の流入が減少する一方で、ドイツでの生活に慣れた難民は、生活の場が一時受け入れ施設から一般住宅へと移行している。こうしてテント村はほぼ消え、支払い可能な居住空間の供給が重要になってきている。

 居住場所以外にも、いろいろな変化が見られる。当初は難民にドイツ語を学んでもらうことがとくかく重要で、ボランティアによるドイツ語教室も生まれた。昨年の秋、デュイスブルクでスポーツ施設跡地に設置された難民一時受け入れ施設を眺めていた時、そこに暮らしている若者に話しかけられたことがある。その若者は流ちょうなドイツ語を話していて、「若者へのドイツ語教育が順調に進んでいるのだな」と感じられた。

北側から小学校を見る。道路そばの銀色の平屋がプレハブ教室。下校時刻が近いので、出口近くに迎えに来ている親が見られる。(2018年撮影)
 こうして、難民は次第に「普通の市民」への道を進みつつある。そのなかで、これまでの傾向が逆転する現象も生じてきている。その典型が、小学校の「プレハブ教室」である。これまでは人口減少の中で生徒数が減少し、小学校の閉校が課題とされ、すでに多数の小学校が消えている。ところが、現在は逆に生徒数の増加が見られる。「閉校した小学校を再び利用すればいい」、こう考える人も多いことだろう。確かにそうだが、数年間閉校した学校の利用には、整備費用が必要になる。普通の自治体であれば問題ないかもしれないが、財政の苦しいルール都市には大変である。そこで、当面の策として、かつて日本でも見られた「プレハブ教室」(ドイツでは「コンテナー」と呼ばれる)が登場することとなった。

右側が校舎で、左側に見えるのがプレハブ教室。上の写真の右側から撮影している。
 右の写真は、ボーフム市西部のヴァッテンシャイト区にある小学校である。ドイツの小学校は4年制で、グラウンドや体育館、プールはない(地域の施設を使用する)ため、日本と比べるとはるかに小規模である。この小学校も建物は1棟で、そこに各学年3つの教室が置かれている。ところが2016年度は新入生が4クラスになることとなり、区で初のプレハブ教室が設置された。校内にこれ以上プレハブ教室を設置する余地はないので、2017年度は3クラスに調整され、区内の他小学校にプレハブ教室が設置されている。

 ヴァッテンシャイト区は、面積24平方キロ、人口7万人で、4年前に3つの小学校が閉校されている。3校の閉校が決められた2012年前後には、閉校に反対する親や卒業生から多くの批判が寄せられたが、それから5年も経過していない時期にプレハブ教室が設置される結果となったわけで、将来を予想するのが難しいことを示している。日本でも、少子高齢化に変化の兆しが見えるといいのだが・・・。
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| 難民と移民 | 17:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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難民が入居する屋根裏住宅の広さはカ・メ・レ・オ・ン?

 最近のドイツでは、難民の流入が以前より減少している一方で、ピーク時の2015年前後に流入した難民の定着へ向け、努力が続けられている。その一つに、定住に適した住宅への移動がある。たとえばボーフムは、いち早く「コンテナー住宅」(日本の仮設住宅のようなもの)に注目し、市内数ヶ所にコンテナー住宅を設置した。それから2年近くが経過し、現在はドイツの生活に適応できる世帯から順に応急施設を出て、一般住宅へ入居する段階へと移って来ている。多数のテント村を設置し、待遇改善を求めて難民がデモを行った隣接都市エッセンでも、すでにテント村は姿を消し、重点が家賃が安い住宅の確保に移ってきている。

 ボーフムの大学教授ローマン氏は、あるシリア難民(Hさん)の生活に適切な住宅を探していた。Hさんは、夫婦と生き残った子ども1人の3人でコンテナーに住んでいたが、近くコンテナーから出て行かねばならない。幸い、子どもが通っている学校に近い場所に、家賃が補助限度内に収まる住宅が見つかった。子ども部屋もあり、家族も気に入っているので、ジョブセンター(日本の職業安定所に相当する)に手続きに行った。

 ところが、「この住宅は狭すぎるので、家賃は提供できない」と言われたのである。3人家族で対象とするには、床面積が65から80平方メートルの範囲に入らねばならないが、その住宅は55平方メートルしかなかったからである。ローマン教授は、コンテナーを出なければならないことと、家族が満足していることを懸命に説明した。しかし、センターは「規則は曲げられない」と、冷たい。小規模な住宅を除外しているのは、より広い住宅への移転が目ざされ、再び移転費用等が必要になるため、ということである。

 ローマン教授が、この状況を家主に相談したところ、家主は意外な行動に出た。屋根裏階の住宅の面積を、天井が傾斜して低くなっている部分を含め、測定し直したのである。そして、「66平方メートル」という結果が出て来た。屋根裏階の住宅には天井が低い部分があるので、床面の全てが面積として算定されているわけではないのだそうである。ジョブセンターは新たな規模を認め、Hさん一家は、めでたく「子ども部屋がある夢の住宅」に入居できた。以前、日本で部屋の広さを畳数で示すことが、「日本住宅はウサギ小屋」という誤解を生んだ可能性がある点を説明したが、異国の住宅規模を理解するのはなかなか骨が折れる。少なくとも屋根裏住居の規模はそのまま信じず、カメレオンの皮膚の色のように「可変」だ、と考えていた方がいいかもしれない。

私が宿泊したホテルの屋根裏部屋。(2009年撮影)
 ところで、屋根裏にある住宅での生活は、どんなものなのだろうか。私が初めてドイツへ行った時、親切にしていただいた若い夫婦の自宅に招かれたことがある。そこは屋根裏階にある借家だったが、明るく、日本人が「屋根裏」という言葉からイメージするような住まいではなかった。だから、「屋根裏の住まいで大丈夫なんだろうか」と、心配する必要はないだろう。

ホテルの外観。宿泊した屋根裏部屋は、右から2つ目か3つ目の窓である。
 私が手許に持っている写真はほぼ全てが屋外なので、建物の外観はわかるが、内部は分からない。ただ、宿泊したホテルの部屋が屋根裏階にあり、参考になるかもしれないと撮影しておいた写真があるので、紹介したい。上の写真がホテルの室内で、左の写真がその外観である。外観からは、写真のような内部の広さは想像しにくいと思う。もちろん、屋根裏なので宿泊料は安めだが、静かでいい部屋だった。日本は緯度が低いので、屋根裏部屋で夏を過ごすのはかなり厳しいが、ドイツは快適である。そのかわり、屋根面に置いた太陽光パネルで発電できる量は、日本よりかなり少なくなると思われ、この点は日本の方が恵まれている。

| 難民と移民 | 16:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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オーバーハウゼン都心にシリア難民がレストランを開店

開店したばかりのレストラン「ロイヤル」店内の様子。(Der Westen紙より)
 今週木曜日の8月18日、オーバーハウゼンの中心商店街であるマルクト通りに、シリア難民3名が協力して運営するレストラン「ロイヤル」が開店した。物珍しさも手伝い、多くの客がシリア料理を口にしたそうだ。3名(うち1名はコック)ではとても手が足りず、当面はボランティア10名の協力を受けている。シリア難民2名をパートタイムで雇用することを計画しているので、いずれ店のスタッフで運営できるようになるだろう。

 もちろん、ここまで来るには、ボランティアの協力が大きな役割を果たした。オーバーハウゼン北部の難民収容施設にいたバッサム・アルバビは、イランでレストランを経営していた。ドイツでもレストランを持つことを夢見ていることを、ボランティアのマーヤ―・オナラハに話したところ、マーヤ―が全面的に協力し、店を探したそうだ。3名の手持ち資金だけでは開店に足りなかったので、マーヤ―が融資を受け、開店準備のため提供している。マーヤーも、戦争を逃れてドイツに来たそうなので、ひょっとすると中東出身の方かもしれない。彼は、「難民に協力するのは自分の義務だ」と考え、ボランティアとして協力しているそうだ。

 店のあるマルクト通りは、オーバーハウゼン都心の中心である。このような場所が得られたのは、オーバーハウゼン都心の衰退の影響でもある。以前の「6都市比較」で説明したように、オーバーハウゼン都心は、ちょうど20年前にオープンしたツェントロの影響で、衰退に苦しんでいる。その結果として、マルクト通りにもいくつか空き店舗がある。この店の場合は、事情を聞いた家主が、難民の自立に共感し、家賃を安くしたそうだ。開店祝いに、アルバビが住む市北部の区長もかけつけているので、政治と行政も店舗探しに協力したのだろう。

 私は、この店舗が、オーバーハウゼン都心の活性化に役立ってくれることも期待している。インターネットで検索すると、シリアのレストランが開店したという記事は、私が読んでいるWAZ紙に加え、いくつかの雑誌にも掲載されていることがわかる。私も来月にオーバーハウゼンを訪問する予定なので、できれば味見をしてみたいと思っている。

| 難民と移民 | 21:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エッセンでようやく難民テント村の撤収が始まる

 難民を収容する施設に苦しみ、スポーツ施設に大規模なテント村を設置して凌いでいたエッセンで、ようやくテント村の撤収が開始した。以前紹介したように、難民をどのような施設に収容するかは各市の裁量に委ねられていて、市の事情が反映している。そして、よもやま通信都市で最もテント村への依存が大きかったのが、エッセン市である。1日に数十名の難民が新たに配分されるというピーク時に、難民がホームレスになるのを避けるため、市はテントを設置するしか方法がなかった。

 こうして現在、市には10箇所、計3902人分のテント村がある。しかし、明日になれば1ヶ所が減り、9箇所になる。今年初めに契約した民間空きビルの工事が完成し、ようやく400名の難民収容が可能になるためである。8月中には、もう1ヶ所のテントも撤収される。こうして年内に7箇所のテント村が廃止され、残るは3箇所だけになる予定である。年始めの計画では、今年8月までに全てのテント村をなくす予定だったが、その8月になってようやく撤収計画が動き出したわけである。

 では、テント村の撤収が急がれたのはなぜだろうか。その最大の理由は「多額の経費がかかる」ことである。テントだから安く済むように感じられるかもしれないが、事実は逆であった。今年1月の報道によると、テント村の経費は、月に難民1人あたり2,029ユーロもかかり、最も高額な収容形態である。1ユーロ120円とすると、月に24万円強、4人家族で100万円弱と、たしかに高い。しかも「高くかかるから入った難民は満足する」ようなことはなく、むしろ逆で、改善を求めて難民によるデモも行われたほどである。これでは、高い支出が報われない。

 いずれにせよ、このようなテント村廃止を可能にしたのは、最近の難民情勢が変化し、以前に比べて新規流入が減少していることである。エッセン市の場合、現在は月に100名程度の流入と、落ち着いてきている。もちろん、そのために施設準備の手を緩めるわけにはいかないが、以前よりは緩和してきている。そして現在頭を痛めているのが、「住宅の新築」である。難民はいずれ施設を出て、住宅に移ることになるからで、難民問題が今後の都市政策の大きな課題であることは変わっていない。

| 難民と移民 | 21:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ボーフム市役所前広場で難民がハンガーストライキ

 シリア等からのドイツへ向かう難民は、冬に入ってから人数が幾分減少してきたようだが、これまでにドイツに到着した100万人とも言われる難民は、各方面で大きな負担となっている。先日は、エッセンのテント村に収容された難民が改善を求めてデモを行ったことを紹介したが、ボーフムでは、復活祭を祝うキリスト教徒を横目に、先週水曜日の23日から、約30名の難民がハンガーストライキを決行している。

 難民は市役所前でストライキを行っているが、エッセンのデモとは異なり、その要求は市へ向けられたものではなく、連邦である。難民が最も強く求めているのは、連邦の難民認定を行う部署が、自分たちの難民申請を検討して早く結論を出すことだからである。

 難民認定に長い期間がかかることは当初から分かっていて、「検討し始めてから半年程度かかる」と報道されていた。昨年の9月、ドイツが難民を歓迎するという姿勢を示して以来、大量の難民がドイツに押し寄せ、事態が悪化している。連邦も難民認定を行う職員を追加して体制を整え、隣接するドルトムントの認定局支所で作業されているが、「焼け石に水」である。一体いつになれば自分の難民申請の検討が始まるのだろうか、早く処理してほしい、というのがハンガーストライキの趣旨だそうである。

 1ヶ月ほど前にも、難民にとって最大の問題は「待つ」ことだ、と書いている記事があった。もちろん、難民申請の検討を行うまでの期間についても、難民には一定の生活費が保証されている。しかし、体育館やテント村で、先の見えない生活を行うことは、想像以上にきびしい。ストレスがたまり、無気力化が進行すると関係者も問題にしているが、認定局からは進行状況について何の連絡もない。もちろん、認定局の大変さも分かる・・・。

 このように認定を求めてハンガーストライキに入る難民がいる一方で、ドイツに入国後、難民申請をしないまま過ごしたり、割り当てられた施設を去って行く者、あるいは国境から受け入れ施設まで向かう列車の途中で消えてしまう者も少なくないそうだ。ドイツは、大変な問題を引き受けてしまったのだろうか。

| 難民と移民 | 16:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エッセンのテント村に収容された難民が改善を求めデモ

 昨年の大晦日に、花火をあげて騒ぐドイツの風習に乗じて、ケルンなどで暴行や強盗などの事件が多発したことは、難民問題に大きな影を投げかけている。よもやま通信の6都市でも、ドルトムントで、2人連れで歩いていた女性のグループ2つから、暴行を受けたという届けが出されている。こうして、難民問題は複雑な状況を見せている。

 大規模なテント村が建設されているエッセンでは、1月6日に、待遇改善を求める数十名の難民がデモを行い、波紋を広げている。プラカードには「我々は難民で、囚人ではない」、「誰も面倒をみてくれない」、「住宅を望む」 などと書かれていたそうだ。市北部のスタジアム跡に建設されたテント村を出発したデモは、900メートルほど進んで大通りに到達した後、どこへ向かうか意見がまとまらず、テント村に戻って市と話し合うことになった。テント村ではアラビア語で話し合いが行われ、デモに参加していた難民も次第に落ち着きを取り戻したそうである。

デモに出発しようとテント村の入口に集まった難民。行政や警官が説得に当たったが、この後にデモは出発した。(Der Westen紙より)

 エッセン北部のスタジアム跡に建設されたテント村は、最大700名を収容することが可能である。「規模が大きすぎる」という反対もあったが、市は「収容人数はできるだけ少なくする」と説得した。入居が始まったのは昨年11月の下旬で、現在は約400名が暮らしている。

 当初は和やかな雰囲気だったが、元旦には子どもの玩具を巡って大人が喧嘩し、警官がかけつけた。さらに1月4日には、入居しているレバノン難民が「テントに火をつける」と脅し、また警官がかけつけた。仕事も住宅も得られず、子どもが幼稚園に入れる見通しも立たないため、レバノンに帰国したいと考え、このような行動に出たそうだ。テント村の一部では、麻薬も取引されているらしい。こうして、周辺住民のテント村に対する感情も、かなり悪化してきている。

中東における情報不足は大きな問題

 デモを受け、数日後に関係者が集まって円卓会議が行われた。デモ参加者の要望を受け、すでに実施していた語学コースに加え、近くの教会を利用して新しい語学教室を追加することも決められた。今回のデモの背景として重要なのは、難民審査の遅れだそうである。各都市に配分された難民は、正式な難民申請を連邦に行い、決定を待つが、期間が最大で1年もかかるそうである。これは、難民がドイツへ出発する前に聞いていた話しとは大違いである。連邦も職員を追加して対応しているが、大量に押し寄せる難民にはとても追いつかない。

 こうして、「ユートピア」を夢見てドイツに到着した難民が現実を知り、デモに訴えた、というわけである。このようなドイツの現実を中東地域で知ることは期待できず、今日も多数の人々がドイツを目ざして旅立とうとしているはずだ。実態がそのまま伝われば、難民の波も少しおさまるのではないかと思うのだが・・・

| 難民と移民 | 13:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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義務とボランティアに支えられた難民収容事情

 最近のドイツでは、シリアなどからの難民に関連した記事が報道されない日はない。報道を見ていると、難民を受け入れる負担の大きさが感じられ、「この状況が長期に続けば、ドイツはどうなるのだろうか」と不安になる。とくに大変なのが難民を収容する施設の準備で、4年半前の東日本大震災で、福島県の原発周辺地域から避難して来た人々が右往左往しなければならなかったことが思い出される。そこで、これまでも紹介してきたが、ルール地方における現時点での「難民収容事情」を取りあげた。

 タイトルを「義務とボランティア」としたが、ドイツに到着した難民は、まずケーニッヒシュタイン・キーと呼ばれる比率で州に配分される。こうして各州に到着した難民は、州の受け入れ施設で登録を受けた後、各州が定めている比率で市町村に配分される。重要なポイントは、この配分を受け入れることが、州と市町村にとって法的な義務とされていることである。先日、日本のあるテレビ番組が、「難民の20%以上と、最も多く受け入れているノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州」と説明していた。NRW州が好意で多数の難民を受け入れているように聞こえるが、実際は「義務」であり、選択の余地はない。州から配分を受ける市町村の場合も、同じく「義務」である。

 1ヶ月ほど前に、「義務」であることを明確に示す報道があった。NRW州の東部にある人口約6,500人のニーハイム村で、難民収容に関連して、村長がメールや電話で脅迫されているというのだ。村には71名の難民が居住しており、毎月20名程度が追加されるが、村内には適切な空き建物はなく、新築する資金もない。収容する場所に困った村は、村の住宅に住んでいる村民を解約して出てもらうと決定した。難民を収容するのは村の義務なので、難民収容を優先したわけである。もちろん、解約される村民が新たな住宅を探すにあたり、援助するそうである。たしかに村民に住宅を提供するのは義務ではないが、追い出される村民には何とも気の毒な話しである。

エッセン中央駅から約1キロの距離にあるスポーツ施設跡地に設置されたテント村。難民の生活が見えないように、幕で囲んでいる。(2015年撮影)
 こうして、「受け入れるのは義務」だが、受け入れた難民をどのような施設に収容するかは、市町村に任されている。このため、市町村の事情に応じ、多彩である。この「よもやま通信6都市」にも、市によって特徴が見られる:人口順に示す。
  • ドルトムント:空き校舎は使い切り、最近は体育館に頼っている。「できるだけ早く体育館を使用しないようにする」とされているが、まだ実現のメドはついていない。代わりに設置を予定されているのがエアドームで、港に船を浮かべて収容する方法も開始した。
  • エッセン:ここも空き校舎は使い尽くした。体育館などの公共施設に手をつけなくてもいいように、写真のようなテント村の設置に力を入れており、一ヵ所で700名の収容を予定している大規模なテント村もある。この冬が暖冬だといいのだが。
  • デュイスブルク:市北部に設置したテント村は州の一次収容施設となったが、州はテント村を短期間であきらめ、市に代替施設を求めた。この結果、市民がスポーツやイベントを行っていたホールを使うこととなり、予約していた団体から不満が出ている。
  • ボーフム:コンテナーを多く使用している点が他都市と異なる。コンテナーがあれば設置したい市は他にもあるが、いつ入手できるのか見当がつかないそうだ。ボーフム市は、他都市より早く手を回して押さえたのだろう。
  • オーバーハウゼン:市議会がテント村設置を認めないため、やむを得ず体育館の使用を開始した。困る市民も出てくるだろうが、収容施設の確保を行う担当者も必死で、手を緩めるわけにはいかない。
  • ミュルハイム:これまで住宅確保に努力してきたが、それも限界に達し、体育館の使用に踏み切っている。
 このように、市によって状況はいろいろだが、できれば住宅に収容したい点は共通している。最近は、民間団体が市に空き建物を無償で提供するケースも見られるようになった。たとえばオーバーハウゼンでは、プロテスタント教会が近く閉鎖予定の教会の提供を申し出た。また、ミュルハイムでは、食料品チェーンを経営している会社が、住宅建物1棟の提供を申し出ている。

 もう一つの共通点は、収容する施設周辺の住民がボランティアとして積極的に協力している点である。施設の設置が決まると、地元の有力市民が呼びかけてボランティアのグループを形成する例も、各地に見られる。市も職員を追加して対処しているが、市民の協力のおかげで、少ない職員でやり繰りしている。

 さて、以上は「人口が減少傾向だったルール地方」の実情である。一方、ドイツ南部の都市はほとんどで人口が増加しており、空き家や空き建物はルール地方と比較してはるかに少ない。ルール地方でも「タブーはない」と、あらゆる方法が模索されている。だから、ドイツ南部のミュンヘンやシュツットガルトの担当者の苦労は、一体どれほどのものになっているのだろうか、想像もつかない・・・。

| 難民と移民 | 07:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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