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「ルール地方」とは

「ルール地方」という名称は良く知られているが、なぜルール地方と呼ばれ、具体的にどの範囲かを知っている人は、意外と少ない。私も、少し前までそうだった。そこで、「ルール地方よもやま通信」と切っても切れない縁にあるルール地方の説明を試みたい。

「ルール地方」のルールは、この地方を流れる川の名称である。ライン川右岸の支流で、長さは219キロある。フランクフルトを流れるマイン川、シュツットガルトを流れるネッカー川、あるいはフランスから流れ込むモーゼル川には及ばないが、それらに次ぐレベルの支流である。かつては石炭を輸送する船が行き来したそうだが、現在、ルール川は、むしろレクリェーション地帯の軸となっている。

ルール川がライン川に合流する地点がデュイスブルクで、合流点周辺には、欧州で最大規模と言われるデュイスブルクの内陸港湾がある。ルール川をデュイスブルクから上流へと辿ると、オーバーハウゼンとミュルハイムの境界を進んだ後、ミュルハイムの都心から南へ向かい、エッセン南部に進む。エッセンには、1933年に完成した人工湖のバルデナイ湖がある。その上流は、ボーフムとハッティンゲンの境界を流れているが、ここにも人工湖のケンナーダー湖がある。完成は1979年と、かなり新しい湖である。その後は、ドルトムントの南に接するヴィッテンからハーゲンへと進み、ドルトムントは南端でこのルール川に接している。このように、「ルール地方よもやま通信」の対象6市は、ルール川に関連がある。

ルール地方最大の特色は、多数の炭坑にある。炭層はルール側周辺から北に伸び、北部ほど地下深くに潜る。だから、石炭の採掘はルール川周辺で始まり、次第に北部へと伸びていった。そして、「ルール地方」の範囲は、通例、1920年に形成された「ルール石炭連盟」に加わった自治体とされていて、面積が4.435km2で、人口は約520万人(2009年)である。この地域に、最盛期には3千を超える炭坑があったと言われているが、2007年には6ヶ所にまで減少している。この「ルール石炭連盟」は、現在も「ルール地域連合」(RVR)と名称を変えて継続している。なお、よもやま通信6都市はルール地方の南寄りにあり、計1,037km2、約240万人なので、面積は1/4、人口は半分を占める。

ルール地方の中心都市は、通例エッセンとされている。東西に分けると、エッセンはルール地方西部の中心都市で、ルール地方東部の中心都市はドルトムントになる。もともとエッセンはルール地方最大の都市で、1960年代は70万人を超えていたが、石炭産業が斜陽になった後の人口減少が大きく、60万人を割り、2002年頃にドルトムント(59万人)より少なくなった。この結果、ドルトムントはドイツで7番目、州内ではケルンに次ぐ第2の都市となった。しかし、エッセンほどではないが、ドルトムントの人口もこのところ減少が続いている。このため、州2番目を誇った期間は10年と続かず、2010年頃には州都デュッセルドルフに追い越され、州3番目に戻ってしまった。同じ期間に、エッセン(58万人)はドルトムントとデュッセルドルフに抜かれて、州2番目から4番目になっている。

このように、現在、ルール地方は、旧西ドイツの区域で最も人口減少に苦しむ地域となっている。失業率も高く、最近は15%前後と言われている。なお、1987年を最後に国勢調査が行われていないドイツでは、人口の数字に誤差がつきまとう。来年には「センサス2011」が実施される予定で、その結果が待たれる。
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| 人口減少や住宅 | 12:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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