2010年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年01月

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減少続く公的施策住宅の社会住宅

このブログを設置した時から、最近の住宅事情、とくに社会住宅の減少について書きたいと思っていたが、大きい問題なので、なかなか書くことができなかった。大晦日を明日に控え、「不十分な内容でもいいから、とくかく作っておこう」と思い、パソコンに向かっているところである。

ドイツの住宅政策、とくに第二次大戦後から1970年代にかけて行われた大量の住宅建設は、戦後の復興を支え、同時に人々の生活を豊かにしたものとして、よく称賛される。その時に建設された住宅の多くが、「社会住宅」である。これは、日本の「公営住宅」に似ている面もあるが、違う面もある。似ているのは、「国が資金援助を行う」ことと、「住めるのは、所得が一定レベルに達しない世帯」だという点である。一方、異なるのは、「日本の公営住宅を建設できるのは地方公共団体だけだが、ドイツでは、民間の団体も社会住宅を建設できる」点であろう。極端な場合、低所得者が持家を社会住宅として建設することもできるそうだ。もちろん、社会住宅建設の主力は、非営利の住宅組合や、市町村が設立した住宅供給のための子会社であった。後者の場合、日本の市営住宅(市が建設する公営住宅)と、結果的にほぼ同じことになる。

国の補助は基本的に融資として行われ、返済が終わるまで「社会住宅」として家賃が低廉に維持され(家賃拘束)、入居できる人も限られる。融資返済までの社会住宅の寿命は、平均して35年程度と言われている。だから、戦後建設された社会住宅が、現在、どんどん減少しつつある。たとえば、全体で約16,000戸の住宅を所有しているドルトムント市の住宅供給のための子会社Dogewoの場合、2003年末には4割の6,600戸が家賃の拘束を受ける社会住宅であった。しかし、今年(2010年)6月のデータを見ると、この戸数が約2,600戸にまで減少している。もちろん、市の住宅会社なので、社会住宅でなくなったからといって、すぐに値上げされるわけではない。

多数の住宅会社のうち、最も有名だったのが、労働組合が設立した「ノイエ・ハイマート」で、1970年代には20万戸ほどの住宅を経営していた。ところが、1982年に経営破綻が表面化し、分割していろんなところに引き受けられた。ノルトライン・ヴェストファーレン州では、州が大部分を引き受けた結果、「州開発公社」管理下の住宅戸数が約10万戸に増加していた。ところが、この住宅が、2008年にアメリカのゴールドマン・サックスのファンド運用子会社であるホワイトホールに売却されたのである。こうなると、社会住宅の拘束が切れた後の家賃がどうなるのかが、微妙な問題となる。他にも、ルール地方には旧炭坑や製鉄会社が建設した多数の社宅があり、炭坑や製鉄所が消えた後も住宅経営が継続されていたが、近年に入り、投資会社にまとまって売却される例がよく聞かれるようになっている。

ルール地方は、戦後のドイツ復興の中心となった地域であるため、多数の社会住宅が建設された。だから、社会住宅の寿命が尽き、一般の賃貸住宅に変化する影響を最も強く受ける地方だと考えられる。転売による利益を当てにして住宅を購入した会社もかなりあったと思われるが、2008年のリーマンショックによって住宅価格が低下し、塩漬け状況になっている。このため、最近は「暖房の故障を連絡してもなかなか修理してくれない」、「エレベーターが故障したままだ」、「かびが生えているので家主にリフォームを求めているが、口先だけで、実施してくれない」といった記事が、目につくようになってきている。

かつて「住宅政策の優等生」と呼ばれたドイツ、その住宅政策は、人口が安定から減少へと向かおうとしている今後、どのように展開していくのであろうか。
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| 人口減少や住宅 | 16:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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雪かきへの対処法、いろいろ

ルール地方では、その後も雪が猛威をふるっている。各地で交通が混乱し、休校になる学校も出てきていて、新聞では雪の話題が続いている。大量の雪をもたらしている低気圧には、ペトラという女性の名前がつけられている。日本でも、戦後、アメリカに占領されていた時には、台風にキティやジェーンなど、女性の名前がつけられ、「アメリカ式」だと説明されていたが、あれは「欧米式」だったのかもしれない。

さて、その雪かきだが、都市によって状況が異なり、ベルリンでは失業者を動員して雪かきを行うことが考えられているようで、ドルトムントも同様である。一方、エッセンでは、「一時的な雇用にしかならないので効果がない」と失業者の活用には否定的で、雪かき業者のルートが活用されている。料金は住戸規模に依存するそうで、ある業者では50m2のアパートで年19ユーロという話しである。この料金で、雪が多い日には1日最大3回の雪かきを行うそうだが、もちろん雪が降らなければ出動はない。

雪が多くて困るのは、ドイツだけではない。スイスやアメリカの一部でも、歩道の雪かきが居住者に義務づけられているそうだ。数日前、アメリカ発の雪かきボランティアの記事を見つけた。発案したのは、シカゴのプロ・バスケットボールのチーム"CHICAGOBULLS"のスター選手のひとり、カイル・コーバー(Kyle Korver)だそうである。コーバーは、自らの知名度を生かし、グループで高齢者や病人の雪かきを援助することを目ざしている。対象期間は12月1日から来年3月1日までで、インターネットを利用して協力者を募っていて、活動は世界に広がりつつあるそうだ。欧米諸国の中でもドイツは高齢化が進行している方なので、この種のボランティア活動は、大いに歓迎されるに違いない。

| 自転車や歩道・舗装 | 11:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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歩道の雪かきはドイツ居住者の義務だが

この冬も雪の季節がやってきた。最近のドイツでは、毎年のように雪かきが必要なほど雪が降るわけではないが、昨冬(2009~10年)は雪が多かった。そして、この2010~11年の冬も、12月初めに雪が積もったので、新聞などが、歩道の「雪かきの義務」について居住者に注意を喚起している。

この話しは、ドイツに住む日本人の間でも、よく話題になる。しかも、「雪かきをしないと罰金をとられるそうだ」とか、「雪かきを怠っていた歩道で人がすべって怪我をしたら、損害賠償を請求されるそうだ」という、マイナスイメージで語られることが多い。

実例は知らないが、たしかにドイツでは、道路沿道に居住する者に、歩道の雪かきを行う義務があるので、怪我をした人が裁判に訴える可能性もあるだろう。ただ、義務の内容には、地域によって微妙な違いがある。たとえば雪かきを行う幅が1mの都市もあれば、1.5mの都市もあり、義務のある時刻にも違いがあるようだ。ドルトムント市の条例では、雪かきを「遅くとも7時に開始し、20時以降は作業を停止することができる」となっているが、朝8時頃からでよい都市もある。

また、多くの都市では、雪かき後に「すべり止めをまく」ことも求められている。すべり止めとして広く用いられているのが「塩」で、建材店に行くと散布用の塩が売られているそうだ。この冬は早めに大量の雪が降ったため、オーバーハウゼンなどでは散布用の塩が不足して高騰していて、応急的に調理用の塩を散布する居住者もいるそうだ。環境団体は、街路樹が枯れる可能性もあるとして、できるだけ塩をまかないようにアピールしている。ずっと前にボンに泊まった時に雪が積もり、朝、駅へ向かうルートですべり止めとして小さい土粒がまかれていて、感謝したことを思い出した。

ところで、日本人はアパートを借りて住んでいる場合が多いが、その時の家主と借家人の関係はどうなるのだろうか。都市で違うそうで、ドルトムントでは、家主が借家人に委託することができるので、借家人は大変である。しかし、ハンブルクでは、基本的に家主に義務があるという判決が確定したそうだ。

最近、雪の話題が多くなっていることには、2つの理由がある。ひとつは昨冬からの雪の多さであり、もうひとつは高齢化の進行だ。最近の新聞にも、「88歳でもスコップを使う義務があるのか」とか、「車いすを使用している借家人にも、雪かきの義務があるのか」という話題が掲載されていた。どうもドルトムントでは借家人の分が悪く、「費用を支払って家主に依頼したらどうだろうか」という助言が載っていた。年金暮らしの高齢者は、ひたすら天をあおぎ、雪が積もらないことを願うしかなさそうだ。

| 自転車や歩道・舗装 | 11:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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性犯罪既犯者の出所に対しては子どもに抵抗力を

この夏から、ドイツ各地で、「再犯を否定できない性犯罪既犯者とどう付き合うか」が取りあげられるようになった。既犯者の社会復帰は、どの国でも大きな問題である。死刑を廃止したドイツでは、犯罪の原因に病的な部分がある場合、特別な施設で治療矯正が行われる。しかし、数年前には、治療施設から逃げ出して連続殺人を犯し、ドイツ全土を恐怖に陥れる事件が起きている。それでも、裁判では犯人に治療を命じる判決が増加しているそうだ。そして、デュイスブルクでは、出所10日目の性犯罪既犯者が、未遂事件を起こした。

ドイツには、再犯の恐れが強い者は、刑期の終了後も刑務所に収容し続ける保安拘禁[Sicherungsverwahrung]の制度がある。拘禁できる期間は、以前は最高10年(初犯の場合)とされていたが、1998年に法律が改正され、10年の上限が撤廃された。問題は、上限10年の撤廃に、過去の犯罪も対象とできる遡及力が与えられたことである。この遡及力の有効性をめぐって裁判が行われ、ドイツの連邦憲法裁判所は2004年に合憲判決を出していた。ところが、これがひっくり返されたのである。

ひっくり返したのは、欧州人権条約によってフランスのストラスブールに設置されている欧州人権裁判所である。1986年に犯した犯罪で5年の刑と10年の保安拘禁を命じられ、15年後に出所できると思っていたら、まだ再犯の可能性が高いとして保安拘禁を延長された者が、欧州人権裁判所に訴えた。欧州人権裁判所は、2009年12月に、遡及は人権への侵害だとして出所を認め、連邦に5万ユーロの損害賠償を支払うように命じた。ドイツ政府は、この判決を不服として大法廷での再審理を求めたが、2010年5月にこの判決内容で確定した。

欧州人権裁判所の判決は、類似した状況にある他の保安拘禁者にも影響する。もちろん、自動的に出所するのでなく、個々に検討が行われるそうだが、各地で「近所に再犯の可能性を否定できない性犯罪既犯者が住む」と問題になっている。ルール地方で最も早かったのがドルトムントで、9月16日に刑務所を出所し、住み始めた。住民の安全に責任がある警察は監視が必要だと考え、事前に該当者と接触したところ、協力の約束を取り付けることができた。警察は、「住民保護のため、法的に可能な限界まで行う」覚悟で、もし該当者が協力しない場合は、24時間監視の検討も行ったが、それには20~25名の人員が必要になるそうである。その後、9月末にはエッセン、11月下旬にはデュイスブルクで、保安拘禁を解かれた性犯罪既犯者が生活をはじめた。

これらの性犯罪既犯者について、新聞はおおよその住所や年齢を報道しているが、本人を特定できる情報までは示されていない。エッセンの場合は、住宅へ向かう姿が写真で紹介されたが、顔は隠されていた。周辺に住む女性や、女の子をもつ親にとっては、不安の種である。

そして、デュイスブルクで、出所して住み始めてからわずか10日後の性犯罪既犯者が、10歳の女の子を襲い、首を絞める事件が起きた。幸い、少女は何とか逃れることができ、犯罪は未遂に終わった。もちろん、既犯者は直ちに施設に戻された。この事例は、保安拘禁と人権の関係を判断する難しさを示している。専門家による「重度の障害や性犯罪を行う高度の危険があるという具体的な徴候はない」という鑑定結果をもとに、裁判所の決定で拘束を解かれた者が、わずか10日後に類似した事件を起こしたのだから。

少女が襲われた地区では、親を集め、どのように対応したらいいのかが話し合われた。この種の問題を扱ったことがある指導者によると、パニックは危険で、逃げてはならないそうだ。だから、性犯罪既犯者が住む場所を避けていても解決にはならない。大切なのは、状況に応じた行動をとることで、火災に備えて避難訓練を行うように、訓練も効果がある、ということだ。たしかに、「近くに累犯の性犯罪既犯者が住んでいなければ安全」とは言えず、社会環境が重要なことはわかるが、いやはや、住みにくい世の中になったものだ・・・

| 町の話題いろいろ | 14:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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