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「ルール地方よもやま通信」のタイトル写真 - 進む地区改造

 「ルール地方よもやま通信」のタイトルとしているページ上部画像には、2つの写真を示している。機会があればこの写真について説明したいと思っていたが、「日本からデュイスブルクに5名の研究者」がやって来て、左の写真の地区を見学するという3月9日付けの記事が目についた。そこで、この機会に写真を説明したい。

 なお、見学に来たのは、関西の大学で都市計画、政治学、社会学を研究している加茂利男教授のグループだそうである。人口減少と格闘する旧工業都市の状況を調査し、日本の参考とするため、まずアメリカ、そしてデュイスブルク、次はフランスと、見学旅行を進めているところだそうだ。

 そのグループがドイツで訪問したタイトル左側の写真は、デュイスブルク北部のブルクハウゼン地区である。写真は、ティッセン社の製鉄所の高炉を、取り壊し予定の住宅から眺めている。この地区では、1890年頃に農地をティッセン社が購入し、製鉄所やコークス工場、製鋼工場などが建設された。現在はアウトバーンと工場の間に挟まれて、約30ヘクタールの住宅地が残る。かつては主に工場労働者が居住していたが、近年はトルコ系住民が主体となっている。

住宅地から溶鉱炉を眺めたタイトル写真の周辺状況。(2009年撮影)
 2006年に、市は環境改善のため、工場に沿った街区を取り壊して緑地にする計画を発表した。案は一部手直しの後、2007年に市議会で認められ、百棟以上の建物が取り壊される予定である。右の写真は上のタイトル写真の周辺で、左右とも一番手前にある建物は残されると思われるが、それ以外は数年後には消えているはずである。

 写真左側の建物列の先、工場敷地との境界となっている幹線道路角にある飲み屋には、「黒ダイア」という、かつての地区を象徴する名称がついていた。実は、昨年末になり、IBA(国際建築展)エムシャーを進めたかつての州建設大臣が、「このような全面取り壊しは1980年以前に戻る行為」だとして、取り壊しの停止を求めた。しかし、デュイスブルク市はモラトリウムを拒否し、作業を進めている。

 次にタイトルの右側写真だが、これはボーフムの西公園である。以前は工場だった場所で、州が資金を出して進めたIBAエムシャーにより、公園化された。都心からわずか1キロの距離にあり、交通の便がいい。写真に写っている建物はヤールフンデルト・ホール(世紀ホール)という名称で、旧工場の建物を生かす形で、コンサートなどに利用されている。

 このように、ここに示した2つの写真は、ルール地方の構造変化を考えさせる意味を有している。
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| 居住環境や緑・公害 | 14:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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