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デュイスブルク市が遂に白い巨人2棟を入手、取り壊しへ

 白っぽい色の高層住宅の愛称である「白い巨人」のなかでも、とくに有名なのがデュイスブルクにある。以前も紹介したように、21階建て160戸の住棟が3棟、その倍の320戸の住棟が3棟の計6棟が並び、全体で1,440戸と、壮観である。建設された1970年代は評判が良かったが、老朽化が進み、住宅余り時代の現在は、取り壊しが課題となっている。取り壊すには、市が所有権を入手することが前提となる。先週19日に行われた競売で、市は320戸の1棟を落札した(図のB棟)。同時に、7月末に同じ320戸のE棟を契約で入手していたことも、発表された。取り壊して公園にするという市の計画にとり、まずは順調なスタートである。

デュイスブルクのスクラップ不動産「白い巨人」6棟の配置。市が今回獲得したのはB棟で、E棟は少し前に入手していた。A棟は管理状況が良く、F棟は改修されて「赤い巨人」と呼ばれている。

 「白い巨人」のなかでも老朽化が最も進んでいるB棟は、「ドイツ最大のハト小屋」と揶揄されていた。改修して賃貸するとしても、取り壊して土地を売却するとしても赤字になる。それにもかかわらず、市以外に2つの業者が競売に参加し、値段のつり上げが行われたため、市は255万ユーロで落札することとなった。この価格はほぼ地価に相当するが、取り壊し費用が300万ユーロと見積もられているので、高い買物になった。これを可能にしたのが、このプロジェクトで市を背後から支援している州の存在である。財政赤字に苦しむデュイスブルク市単独では、絶対に無理な落札だった。

 それよりも驚いたのは、7月末に交渉で市がE棟を入手していたという事実である。そこには、「日本では絶対に無理だ」と考えられる、あるトリックの匂いがする。2010年頃、E棟の所有者は、市に買い取りを求めて交渉したが、当時は州の支援がなく、交渉は停滞した。防火改修を迫られていた所有者はしびれを切らし、2010年末に、改修費用を節約するため、残る入居者をC棟に移す等で空き家にすると発表した。こうして、2011年半ばにE棟も空き家となった。そのまま放置されるのかと思っていたら、実は2013年半ばに密かに売却された。購入したD社は「改修して賃貸する」と発表し、「住宅の需要がない」という理由で取り壊しを主張している市に、協力を要請した。さらに2014年3月には、改修工事の認可を申請した。そして、ここからが日本とドイツの違いである

 日本では建築確認申請が提出されると、35日以内に可否を決定しなければならない(建築基準法第6条)。しかも、申請先は建築を予定している市の建築担当でなく、民間の指定資格検定機関でいいので、所有者が「改修」を進めようと決意した場合、市は傍観するしかないだろう。一方、ドイツでは当該市に建築認可を申請しなければならず、決定までの日数はとくに規定されていない。大規模な建築物の場合は数ヶ月から半年程度かかるのが普通である。

 そして、この「白い巨人」E棟の場合、市は「検討中だが、まだ資料が全てそろっていない」とコメントするばかりで、いつまで経っても建築認可の決定は出されなかった。決定できない理由に関する詳しい説明は行われず、建築認可がないのでD社は工事に取りかかれず、時間だけが経過していった。

 そして、今回の「市が購入した」という発表である。行政が市民に対して有す力は、ドイツの方が日本より大きい部分もあるのではないか、私はそう思っている。なお、E棟の売買価格は、両者が公表しないと約束したため、明らかにされていない。噂によると、D社の購入価格は50万ユーロだったらしいので、損は出していないものと思われる。
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| 人口減少や住宅 | 23:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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増加する難民のため、各地でテント村設置が広がる

 このところ、ドイツへの難民流入がますます増加し、各市は収容場所の準備に頭を痛めている。以前は欧州連合内からの流入が問題とされ、その問題は現在も続いている。しかし、今年になって難民が増加している背景は、シリアの内戦である。「イスラム国」を名乗るテロ組織による勢力拡大から逃れて来た人々が、難民としてドイツに流入しているのである。ドイツは難民の支援を表明し、入国してきた難民を各州に配分している。州は、その難民を一時的に受け入れた後、各市に配分する。

 もちろん、ルール地方の都市も、みな、州から割り当てられた難民を受け入れている。受け入れ施設として、住宅に近い環境が求められ、人口減少で廃校となった学校、空きビル、あるいは空き家が利用され、学校でも体育館は使わないようにされていた。しかし、難民の増加で、施設を選ぶ余地は次第に狭くなり、少し前から体育館やプレハブの仮設施設が広く使用されるようになり、最近はテント村の設置もやむを得ない状況へと追い込まれてきている。さらに、かなり費用がかかるが、新たな施設を建設して受け入れることも検討課題となってきている。

2014年に設置され、使用されないまま片づけられた20張りのテント。(Der Westen紙より)
 状況の変化を良く示すのが、デュイスブルクのテント村である。収容場所に困ったデュイスブルク市は、昨年の夏にテントの利用を決め、ドイツ赤十字の協力で150名を収容できるテント村を設置した。ところが、市内外から批判が寄せられ、州の難民委員会も、「多数の空家があるデュイスブルクで、なぜテント村が必要なのか」と、準備不足を指摘した。これらの声を受け、一度はあきらめていた病院跡の建物を、3年の期限つきで収容施設にする話しがまとまり、テントは一度も使用されないまま片づけられることとなった。

 今年に入り、難民の流入は昨年より増加し、各地で体育館も使用されるようになった。昨年テント村を設置した頃は月に100名程度の配分だったデュイスブルク市も、最近は週に100人近くの受け入れを求められている。もうすぐ新学期が始まるので、体育館はできればスポーツに使用したいと考える州は、7月末に、テント使用も妨げられないという方針を示した。この方針に沿い、まず動いたのがエッセンで、州の発表とほぼ同時に2ヵ所を考えていることを発表し、数日後に3ヶ所に設置する方針を決定した。デュイスブルクはどうするのだろうかと見ていたら、その1週間ほど後、市北部に、昨年の倍の300名を収容するテント村を設置すると発表した。昨年とは違う場所で、期間は一応「3ヶ月」と考えられているが、現在のスピードで難民が増加したら、3ヶ月が経過しても廃止できず、逆に追加されるかもしれない。なお、反対を恐れたのか、エッセンは「テント村」とは呼ばず、「固定した壁と床がある移動可能な建物」と称している。写真を見たところ、確かに壁は布とパネルの中間的な印象がする。

 気になるのは、市民が難民をどう受け止めるかだ。イスラム化に反対する「ペギーダ」という団体が毎週のようにデモを行っている市もあるそうだが、ルール地方ではそのような動きはまだ聞かれない。むしろ、各地で、難民の受け入れに協力するボランティア活動が動きつつある。日本にとってはシリアの内戦は遠くの出来事かもしれないが、ドイツには難民に直結する大問題である。今後どう展開していくのか、現在の大量流入にいつまで対応できるのか、終わりの見えない困難な課題である。

| 難民と移民 | 23:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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