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エッセンのテント村に収容された難民が改善を求めデモ

 昨年の大晦日に、花火をあげて騒ぐドイツの風習に乗じて、ケルンなどで暴行や強盗などの事件が多発したことは、難民問題に大きな影を投げかけている。よもやま通信の6都市でも、ドルトムントで、2人連れで歩いていた女性のグループ2つから、暴行を受けたという届けが出されている。こうして、難民問題は複雑な状況を見せている。

 大規模なテント村が建設されているエッセンでは、1月6日に、待遇改善を求める数十名の難民がデモを行い、波紋を広げている。プラカードには「我々は難民で、囚人ではない」、「誰も面倒をみてくれない」、「住宅を望む」 などと書かれていたそうだ。市北部のスタジアム跡に建設されたテント村を出発したデモは、900メートルほど進んで大通りに到達した後、どこへ向かうか意見がまとまらず、テント村に戻って市と話し合うことになった。テント村ではアラビア語で話し合いが行われ、デモに参加していた難民も次第に落ち着きを取り戻したそうである。

デモに出発しようとテント村の入口に集まった難民。行政や警官が説得に当たったが、この後にデモは出発した。(Der Westen紙より)

 エッセン北部のスタジアム跡に建設されたテント村は、最大700名を収容することが可能である。「規模が大きすぎる」という反対もあったが、市は「収容人数はできるだけ少なくする」と説得した。入居が始まったのは昨年11月の下旬で、現在は約400名が暮らしている。

 当初は和やかな雰囲気だったが、元旦には子どもの玩具を巡って大人が喧嘩し、警官がかけつけた。さらに1月4日には、入居しているレバノン難民が「テントに火をつける」と脅し、また警官がかけつけた。仕事も住宅も得られず、子どもが幼稚園に入れる見通しも立たないため、レバノンに帰国したいと考え、このような行動に出たそうだ。テント村の一部では、麻薬も取引されているらしい。こうして、周辺住民のテント村に対する感情も、かなり悪化してきている。

中東における情報不足は大きな問題

 デモを受け、数日後に関係者が集まって円卓会議が行われた。デモ参加者の要望を受け、すでに実施していた語学コースに加え、近くの教会を利用して新しい語学教室を追加することも決められた。今回のデモの背景として重要なのは、難民審査の遅れだそうである。各都市に配分された難民は、正式な難民申請を連邦に行い、決定を待つが、期間が最大で1年もかかるそうである。これは、難民がドイツへ出発する前に聞いていた話しとは大違いである。連邦も職員を追加して対応しているが、大量に押し寄せる難民にはとても追いつかない。

 こうして、「ユートピア」を夢見てドイツに到着した難民が現実を知り、デモに訴えた、というわけである。このようなドイツの現実を中東地域で知ることは期待できず、今日も多数の人々がドイツを目ざして旅立とうとしているはずだ。実態がそのまま伝われば、難民の波も少しおさまるのではないかと思うのだが・・・
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| 難民と移民 | 13:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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増税と暴走族でヴェーゼルに逃れたデュイスブルク市民

マルクト広場の前に建つヴェーゼル市役所。15世紀のゴシック建築である。(2014年撮影)
 ちょうど1年前に、「不動産税大増税でデュイスブルクから転出者が出るか」として、不動産税の増税に怒っているデュイスブルク市民の話しを紹介した。「その後どうなったのだろうか、高齢者(当時75歳)にとって移転は大変なので、取りやめたかもしれない」と思っていたら、今年に入り、「フェッテ氏が移転した」という記事が掲載された。引っ越した先は、デュイスブルクから北に約25キロほど離れたヴェーゼル市である。

 ヴェーゼルは人口約6万人の都市で、ルール地方の北端部にある。デュイスブルクの不動産税は税率が855%に増税されたが、ヴェーゼル市は423%と、デュイスブルクの半分である。ヴェーゼル市は13の市町村があるヴェーゼル郡の中心地で、ヴェーゼル郡の不動産税率は最低が413%、最高が740%(平均496%)なので、ヴェーゼル市はこの地域では税率が低い方である。

 そのヴェーゼル市の生活に、フェッテ氏はとても満足している。税金が安いことに加え、それまで苦しんでいた暴走族による騒音問題がない。そして、自宅を出ると、すぐに緑の環境が広がっている。フェッテ氏によると、周囲には「自分も以前デュイスブルク市民だった」という人がかなり生活しているそうである。

 実は、フェッテ氏が移転を決意したのは増税だったが、その前から暴走族による騒音問題に悩んでいた。周囲の同じ悩みを持つ人と「住民イニシアティブ」を結成し、対策を求めて市役所や地元政治家に働きかけていた。しかし、市は騒音対策を放置する一方で、増税はしっかり進める。このような市の態度に腹を立て、フェッテ氏は移転を決意したのである。

 その騒音問題では、昨年末に大きな進展があった。22時から6時までの夜間に、時速30キロ制限が実施されることとなり、速度違反を自動的に取り締まる機器が12月中旬に稼動し始めた。ただ、設置されたのは南方向の車線だけで、住民イニシアティブは北方向へも設置することを求めている。騒音問題への対策があと1年早く実施されていたら、フェッテ夫妻はドルトムント市から出なかったかもしれない。人口減少を防ぐためにも、まちづくりを進めることが大切である。

| 市財政や税金問題 | 22:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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