2017年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年03月

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2月28日生まれの誕生日を祝うのは、いつ?

 今年も2月は28日までしかない。子どもの時、「2月29日生まれの人は、4年に1歳しか年をとらないのだろうか」と疑問を感じたことがある。しかし、実際にはそんなことはなく、2月29日生まれの人も、毎年、年齢を重ねている。

 では、誕生日はいつ祝っているのだろうか。1日早い2月28日だろうか、それとも1年が経過したことを確認した後の3月1日だろうか。ミュルハイム出身のマクシーさんは2月29日生まれで、これまでドイツでは、家族から3月1日に誕生日を祝ってもらっていた。

 彼女は、ボン大学でアジア学を学んだ。卒業後に奨学金に応募して選ばれ、昨年から東京に住んでいるそうだ。そして今日、つまり2月28日に、日本の友人から誕生日を祝ってもらう。彼女にとっては初めての経験で、驚いている、「日本では、遅くするのではなく、早くするのだ」と。

 日本で早くするのは、「忘れていたのではない」ということなのかもしれない。仏教の法事を行う時、「早くするのはいいが、遅いのはダメ」と聞いたことがある。だから、日本とドイツの違いではなく、アジアとヨーロッパの違いかもしれない。いずれにせよ、マクシーさん、誕生日おめでとう!
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| ドイツと日本と | 11:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エッセンは確かに「ヨーロッパ緑の首都」 - 映像も完成

 エッセンの「ヨーロッパ緑の首都」は、1月末の開幕行事も無事に終了し、暖かくなる季節へ向けて進行している。宣伝のための映像も完成し、DVDで販売され始めたそうだ。その映像の予告編がユーチューブにあると知ったので、眺めてみた。「たしかにエッセンはヨーロッパ緑の首都にふさわしい」と感じられる出来映えである。ここに紹介するので、是非一度眺めてみてほしい。

 この映像には、私がこのブログで紹介したところもチラッと出てくる。そこで、映像のどのあたりかと、そのブログを紹介しよう。
 まだ紹介する機会がないが、0分39秒と1分4秒頃には世界遺産となっているツォルフェアアイン炭坑が出てくる。さらに、0分40秒と1分30秒頃には、都心もチラッと出てくる。いずれにせよ、予告編を眺めると、エッセンの緑が豊かであることが良くわかる。

 確かに、0分24秒頃に出てくるクルップパークのように、工場の跡地が緑化された公園もある。しかし、紹介されている他の公園は、エッセンが工業都市として空気が汚染されていた当時も「緑」であったはずである。だから、ばい煙で大気が汚染されていた「鉄と石炭の都市」の時代にも、「ヨーロッパ緑の首都」の要素が維持されていたという面がある。

 そう考えていくと、エッセンが「地域計画」発祥の地で、その原因となったのが「緑の維持」だったことに行き着く。エッセンの都市計画責任者ロベルト・シュミットが作成し、1912年に州管区政府に提出した、「緑地」の重要性を力説する「建白書」が、現在のエッセンに広く緑地を残し、「ヨーロッパ緑の首都」を可能にしたのではないだろうか。なお、彼は、1分17秒頃に出てくる郊外の田園住宅地マルガレテンヘーエの建設にも力を尽くしたそうである。

| 居住環境や緑・公害 | 13:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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難民が入居する屋根裏住宅の広さはカ・メ・レ・オ・ン?

 最近のドイツでは、難民の流入が以前より減少している一方で、ピーク時の2015年前後に流入した難民の定着へ向け、努力が続けられている。その一つに、定住に適した住宅への移動がある。たとえばボーフムは、いち早く「コンテナー住宅」(日本の仮設住宅のようなもの)に注目し、市内数ヶ所にコンテナー住宅を設置した。それから2年近くが経過し、現在はドイツの生活に適応できる世帯から順に応急施設を出て、一般住宅へ入居する段階へと移って来ている。多数のテント村を設置し、待遇改善を求めて難民がデモを行った隣接都市エッセンでも、すでにテント村は姿を消し、重点が家賃が安い住宅の確保に移ってきている。

 ボーフムの大学教授ローマン氏は、あるシリア難民(Hさん)の生活に適切な住宅を探していた。Hさんは、夫婦と生き残った子ども1人の3人でコンテナーに住んでいたが、近くコンテナーから出て行かねばならない。幸い、子どもが通っている学校に近い場所に、家賃が補助限度内に収まる住宅が見つかった。子ども部屋もあり、家族も気に入っているので、ジョブセンター(日本の職業安定所に相当する)に手続きに行った。

 ところが、「この住宅は狭すぎるので、家賃は提供できない」と言われたのである。3人家族で対象とするには、床面積が65から80平方メートルの範囲に入らねばならないが、その住宅は55平方メートルしかなかったからである。ローマン教授は、コンテナーを出なければならないことと、家族が満足していることを懸命に説明した。しかし、センターは「規則は曲げられない」と、冷たい。小規模な住宅を除外しているのは、より広い住宅への移転が目ざされ、再び移転費用等が必要になるため、ということである。

 ローマン教授が、この状況を家主に相談したところ、家主は意外な行動に出た。屋根裏階の住宅の面積を、天井が傾斜して低くなっている部分を含め、測定し直したのである。そして、「66平方メートル」という結果が出て来た。屋根裏階の住宅には天井が低い部分があるので、床面の全てが面積として算定されているわけではないのだそうである。ジョブセンターは新たな規模を認め、Hさん一家は、めでたく「子ども部屋がある夢の住宅」に入居できた。以前、日本で部屋の広さを畳数で示すことが、「日本住宅はウサギ小屋」という誤解を生んだ可能性がある点を説明したが、異国の住宅規模を理解するのはなかなか骨が折れる。少なくとも屋根裏住居の規模はそのまま信じず、カメレオンの皮膚の色のように「可変」だ、と考えていた方がいいかもしれない。

私が宿泊したホテルの屋根裏部屋。(2009年撮影)
 ところで、屋根裏にある住宅での生活は、どんなものなのだろうか。私が初めてドイツへ行った時、親切にしていただいた若い夫婦の自宅に招かれたことがある。そこは屋根裏階にある借家だったが、明るく、日本人が「屋根裏」という言葉からイメージするような住まいではなかった。だから、「屋根裏の住まいで大丈夫なんだろうか」と、心配する必要はないだろう。

ホテルの外観。宿泊した屋根裏部屋は、右から2つ目か3つ目の窓である。
 私が手許に持っている写真はほぼ全てが屋外なので、建物の外観はわかるが、内部は分からない。ただ、宿泊したホテルの部屋が屋根裏階にあり、参考になるかもしれないと撮影しておいた写真があるので、紹介したい。上の写真がホテルの室内で、左の写真がその外観である。外観からは、写真のような内部の広さは想像しにくいと思う。もちろん、屋根裏なので宿泊料は安めだが、静かでいい部屋だった。日本は緯度が低いので、屋根裏部屋で夏を過ごすのはかなり厳しいが、ドイツは快適である。そのかわり、屋根面に置いた太陽光パネルで発電できる量は、日本よりかなり少なくなると思われ、この点は日本の方が恵まれている。

| 難民と移民 | 16:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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